現状を打破するために何が必要か。
己の「無知の知」を知り、常識を疑う。
自分に聞いてみた。
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誰でも理不尽な思いを経験したことがあるはず。
年齢に関わらず。
「どう、抵抗するか?」を考えていた。
帰宅途中の電車の中でノートを開き、書きなぐる。
「結果で示せ」。
色んな迷い。
他人、仕事、自分、特性。
こんなことを考えていた。
どうすればよいか?。
自問自答する。
「結果を出せ」。
ピコーン💡っと頭の上に閃く時がある。
サガ・フロンティアの様に。
私の閃きは「大きな」ことでなない。
とても小さく誰の目にも止まらないようなこと。
閃く条件は何だろうか。
頭が良いこと?才能が必要?給料が多いこと?モテモテであること?。
これらは私には分からない。
が、
一つだけ分かる事がある。
「もっと良くしようとする気持ち」。
これが無ければ閃くことは出来ないはず。
だって、「このまま」でいいのだから。
とにかく「出来る事をやろう」とやっていた。
どんなに小さな事でも。
他人が「意味ない」と言っても。
他人が「無駄だ」と言っても。
向上心は勿論あったが意地もあっただろうか。
いつからか「出来る事は何だろうか?」と自然に考えるようになった。
どんなに小さなことでも。
いつからか自己否定の感情が薄れていった。
予想していない効果だった。
今日、何となく文章力や文章構成力について調べていた。
「まだまだ、勉強不足だな」と感じた。
フッフッフッ。
自虐的な笑いではなく何だか楽しみになった。
「あの本を読みたい」。
「この本が必要だ」。
「ダークソウル3の本が欲しい」。
そこから、違う価値観が生まれ違う道が見えるかもしれない。
私はギターを弾いている。
私はブログを書いている。
私はゲームを遊ぶ。
オジサンが部屋で針金弾いて喜んでいる。
オジサンが時に笑いながら文字を書いている。
オジサンが独り言を言いながら画面の中の自分を動かして喜んでいる。
「そんなことやってるから駄目なのか?」。
時折、そんな恐れを抱く。
それでも、何だか楽しくやっている。
戒め(いましめ)→前もって注意する、又は、悪事への処罰。
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信頼され、頼られ、任される。
それは主導権を握る事。
負担は増えるが大切であり有難い事。
良くも悪くも「自由に」出来る。
キ・ヲ・ツ・ケ・ロ。
(気を付けろ)。
こんな時こそ丁寧にすること。
頭の中でセンサーが鳴る。
小学生の頃、実験をした。
アルコールランプに火をつけてビーカーを上に置いて「何かやった」のは覚えている。
最初は手順を教えてくれる。
「これをここに置いて、あれをここに持ってきて、それをそこへ・・・」。
一度きりの授業。
忘れてしまえ?。
問題ないから。
もう・・・「やらない」から。
大人になり、確かにアルコールランプに火を灯す事はやっていない。
ただ、毎日の生活を振り返ると実験の連続。
「これをこうやったらどうだろうか・・・」。
「ああー失敗か」。
「では、こうやってみよう」。
「むーよくわからん」。
効率の良い方法を探すのは大切。
時間、労力などの「リソース」は無限ではないから。
ただ、下手すると「探す旅」で終わってしまう。
今日も「実験」。
明日に向かって。
今日、何となく昔の自分の事を思い出していた。
失敗ばかりだったな。
愚かだったな。
他人に迷惑かけたな。
家族にも迷惑かけたな。
心配をかけたな。
そんな中、今日、ふっと思った事がある。
テストがあるのに勉強しなければ、良い結果は出せない。
当たり前の事。
過去の自分を振り返る。
●勉強しない「くせ」に、頭が悪いと外のせいにする。
●お金が欲しいと言う「くせ」に、お金の勉強をしない。
●恋愛を成功させたいと思う「くせ」に、心理学を知ろうとしない。
生涯の問題なのに「知ろうとしない」というより「考えない」。
思考停止。
ほんと、不思議。
それらも、もう「お終い」。
自ら考える。
夕方、ベランダで風に当たりながら考える。