「趣味」

最近(でもないけど)のゲームはモンスターを仲間に出来たり、モンスターの技が使えたりする。

「体当たり」という技が大抵存在していて「1.5倍のダメージを与えるが自身もダメージを受ける」という設定が多い気がする。

そして、ほぼ使わない。

危ないから。

ーーーーーーーーーーーーーーー。

さて、仕事をしていると「いやーそれはちょっと・・・」という場面にぶち当たる事がある。

無論「やってみないと分からない」という真実はあるがそれでは全てが通ってしまう。

情けないが私は「それは違うと思う」とハッキリ言えない時がある。

先日もそんな事があった。

もう、話は進んでいたので「それは実行するとして、こういう状況なのでこういった方法を取った方が良いと思う」と、どさくさに紛れて提案した。

逃避・・処世術・・と言っておこう。

ーーーーーーーーーーーーーーー。

他人に成り代わる事が出来ないから、こういった時他人がどのように対処しているか分からないが、多くの人が同じような経験をしているのではないか・・と、思う。

いわゆる「ストレス」か。

私の大きな趣味の一つとしてゲームがある。

その世界では自分の心に沿った行動が出来る。

権力もお金も異性も・・・関係あるけど(笑)、それでも「こうしたい」という選択が出来る。

ただ、ボタンを間違ってNPCなどを攻撃してしまうと、とんでもない結末になる事があるから気を付けている。

(彼らは大抵メチャンコ強い)。

ただ、オンラインなどで他人と行動する時は迷惑プレイはしないように心掛けるが、疲れるから一人で楽しんでいる。

趣味の種類は何でも良いと思うが、何か一つ「体当たり」出来る事があると楽しいかも。

「後悔」

色んな事をきっと後悔しているのだろう。

そして忘れているのだろう。

それは後悔ではないのかも知れない。

では、何が後悔か・・。

小さな頃からファミコンばかりしていた。

ワンコン(スタートボタンがある方のコントローラー)コントローラーのボタン(特にAボタン)の反応が悪くなると分解してボタンの下にあるゴムのパット(?)をツーコン(もう一つのコントローラー)と交換して「ボタンが効かない」という苦難を乗り越えていた。

いつしか、やらなくなったカセットも分解した。

いつしか、本体も分解して埃を掃除していた。

中身を見ても全くわからなかったが楽しかった。

中学卒業の進路相談の時、最初「コンピューターの学校に行きたい」と先生に相談すると「その学校は偏差値が高いから無理だろう」と言われた。

「じゃあ自分には無理なんだな」と考えもせず納得した。

最近思うのは先生が悪いとかではなく「何故、自分で考えなかったのだろうか?」と思う。

偏差値が高くても自分で行きたいと思うならもっと相談すればよかった。

ただ、それだけ。

かと言って、「あの時、あちらの方向に進んでいたらもっと輝かしい今があったはず」とは思わない。

ただ、単純に「何故、自分で考えなかったのか?」と疑問に思う。

「誰かが」「周りが」「皆が」・・・言うから・・ヤ・メ・ル・ノ・カ?。

そんな事を最近、思い出していた。

「謙虚」

謙虚も「過ぎる」と嫌味になったり、褒めてくれた相手を否定する事にもなる。

難しい。

「謙虚は美徳である」、という考えもあれば、「謙虚、謙遜だけでは良くない」と言う考えもある。

悩ましい。

「謙虚」という考えに対し、肯定的な意見もあれば否定的な意見もあるし両方とも一度は考えたり聞いたことがあると思う。

では、

ちょっと、質問します。

「感謝」という事に対して、否定的な意見ってありますか?。

その人は羨ましいですか?。

「お詫び」

手直しの為、4月1~2日、アクセス出来ない状態になっていました。

申し訳ございません。

「不遜」

不遜(ふそん)→思い上がった態度。

自分に対する独白。

毎朝、以前より1時間前に起床「勉強」をして仕事に行く。

休日は同じ時間に起床し、散歩、シャワー、朝食、お昼までは「勉強」。

午後、昼食をとりまた、勉強。

・・・・「勉強?」。

何を言っている?。

ファルダー名「勉強」をダブルクリックしているだけだろ?。

本当はもっと、単純でただ、自分が「知りたい」だけ。

本当はもっと、卑屈でただ、自分を笑って見下している人を「見返してやりたい」だけ。

本当はもっと、情けなくてただ、自分がやっていることが「正しいか不安」なだけ。

「今更」を否定したいだけかも知れない。

いつから「すり替え」何て下らない事を考えた?。

誰かに「見られない」と自分から行動しないのか?。

いつからそんな不遜な考えになった?。

「今更」を言い訳にするのならば、小学生に戻ったとしても何も手に入れる事は出来ないだろ?。

「勉強なんてしてないで、ファミコンやろうぜ」と言う他人の意見に従うのだろ?。

まあ、他人に言われる前から自分でゲームしてたけど。

考えて見ろ。

何か、他人に誇れる事があったか?。

自虐ではなく。

「特にないな」。

だったら、「今更」自分の知りたい事、やりたい事を我慢する理由があるのか?。

知りたいなら自分で調べろ、理解したいなら自分で手を動かせ。

己で考え辞めるならそれもいい。

間違いではない。

ただ、「今更」で辞めるのならば・・・。

惰弱である。

惰弱(だじゃく)→意気地がないこと、その様。

何を手に入れるつもりだ?。

「掃除」

100円のモップで脱衣所を掃除していると留め具が折れた。

嫌な気分になった。

今日一日何となくイライラしていた。

そんな自分が妙に、せせこましく感じる。

せせこましい→「形」場所が狭く窮屈。「性質」こせこせしている。ゆとりがない。

そんな自分が滑稽に思える。

不安か、焦りか、憤りか・・・。

自分でも何が原因か分からないけど、そんな思いは蹴っ飛ばしてしまえ。

「モップが壊れた?、じゃ、シャツで拭こうぜ」・・・ぐらいの勢いがあってもいいかもしれない。

実際はやらないけど。

Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像。ありがとう。

「根拠」

人を使い、物を使い、予算を使い、情報を仕入れ、時間を使う。

人、物、金、情報、時間。

これらを使うなら根拠は必要。

しかし、

挑戦する「あなた」を応援するのに根拠なんて・・・。

いらない。

知らない。

関係ない。

え?無責任?。

そんな「小難しい」事なんて蹴っ飛ばしておく。

「あなた」なら出来るよ。

頑張れ。

時に滑稽に見え、時に愚かに見える。

「そう」見えるならしょがないさ。

成功しなければ、誰の記憶にも残らない「名もなき挑戦者」。

それでも、やるさ・・・一緒にやろう。

「ワクワクする目標」があるから。

「二回」

我慢、忍耐が美徳であり「許す事」が美しい・・?。

「ある程度」は我慢、忍耐は必要。

仕事をしていれば上記の事など日常茶飯事でしょう。

しかし・・。

我慢、忍耐などは「測れない」ので具体的な数字は出せないが・・・。

例えば、相手が仕事で困っているので手伝う。

例えば、相手の乱暴な言葉、態度にも我慢する。

仮に、これらを「優しさ」と名付けると、無思慮な相手には優しさが「都合が良い」「弱い人間」と判断される事がある。

「何をやっても許す人間」。

私は二回。

一回目というのは時に感情的になってしまう事がある。

これは私もある事だ。

「程度」によるが一回目というのはしょうがない。

二回目は?。

立場や関係によるが・・。

「にっこり笑って立ち去る」。

「然るべき場所に相談する」。

自分である程度の回数を決めておくと気持ちが楽になった。