「注目」

目立ちたいか?と、言われるとどうだろう・・。

人によると思う。

では、

「認められたいか?」と、言われるとどうだろう・・。

これは異論はないと思う。

「認められる=有名になる」という図式ではなくても、一人の人間として誰だって認められたいはずだ。

アイデンティティ(他ならぬもの、自己)が喪失するから人は傷つき、時に病気になってしまう。

注目されるのが自分のアイデンティティである、と言う人もいるでしょう。

良い意味ならば素晴らしい。

しかし・・・。

簡単に注目される方法がある。

「乱暴に振舞う事」。

さて、どうするか?。

人は時に、感情が膨らみ、怒りに支配される事もある。

私もその一人であり、最近あったこと。

それは、反省すべき事。

「乱暴=丁寧」では、丁寧は目立たない。

「注目」されない。

「問題を起こす人」が目立ち、日々「問題が起きないように努める人」というのはとても地味な存在。

さて、どうするか?。

「あなた」はどうする?。

悩む?。

確かに。

「私達は」お互い顔も知らないし、性別、年齢、何もかも知らないけど・・。

一緒にやりませんか?・・「なるべく丁寧」に。

まあ、何の保証もないけどね。

「向風」

前触れもなく進む道を邪魔するように向かい風が吹く時がある。

強い風と雨で一人で傘を差し、進むのは大変な時もあるかも。

「一・人・で・は・・・」。

二人ならどうだろうか?。

一人が傘を差し、一人が進む。

三人なら・・四人なら・・五人・・六人・・七人・・八人・・・。

傘を差し、背中を押し、声を掛け、道を直し共に進む。

「舞台」

自分が今立っている舞台がどんな形をしているかなんて分からない。

安定感がある形なのか、歪(いびつ)で今にも崩れそうなのか。

頑張り次第で安定感は増す・・・・と、思いたいが・・・。

他人の気まぐれで取り上げられたり、やっと形が整ったと思ったらすぐ横に歪な箱を用意され「こっちに飛び移れ」と言われるかもしれない。

自分で整えられる能力が必要なのだろう。

「底」

ああーそうか・・・と思う。

「外」はどうでもいいとして自分はどうする?。

捨てるか?貫くか?。

さあ、どうする?。

「れる」

心配さ「れる」から、心配「する」方へ。

怒ら「れる」から、怒「る」方へ。

言う事をききな「さい」から、言う事を聞「いて」。

布団を掛けら「れる」から、掛「ける」方へ。

帰りを「待つ」から、待た「れる」方へ。

この一か月余りの時間の中で沢山の事を学ぶ。

時に「怒り」になり、時に「心配」になり、時に「言い過ぎ」になり。

短い時間の中での長い体験。

傷つきながら、励ましながら、協力しながら。

それでも僕らは進む。

明日に向かって。

「基本」

主サイトにてご報告しましたが、私が住んでいた団地の一室が火災になり巻き込まれ避難を余儀なくされ、更新が大幅に滞ってしまいました。

必死や怒りが自分を動かしていた。

それらが「エネルギー」となっていた。

しかし、 一つ問題を解決したかと思えば、それよりも大きな問題が立ちはだかる。

いい加減、疲れ、そして・・「不安感」に襲われました。

仕事中でしたが「もう・・駄目か」と初めて思いました。

そんな時、頭をよぎりました。

「基本」。

そうだ、基本を見直そうと思いノートに書きました。

「不安」に対する基本は・・まず。

1、正体を知る事。

2、自分がコントロール出来ない事は放置する事。

3、筋トレをする事。

4、笑う事。

まずはこれをやってみようと思い実行しました。

諦めるものか。

「困難」

人生は困難だと思う。

これを見ている「あなた」にも困難な事があるでしょう。

これを見ていない「誰か」にも困難な事があるでしょう。

結局、皆、何かと闘っている。

そんな中、より一層「自らの手で困難にしている」人もいる。

「気に入らない」という理由で理不尽な対応をする。

「その時」はいいかも。

「その後は?」。

「単純」

→「我々の道が安全でずっと安心だ」。

私→「そうだと「思う」。ただ、私は「こちらの道」を進みたい」。

私→「ただ、それだけ」。

「先手」

大人になると「応援される事」ってあまり無い気がする。

仕事を頑張るのが当たり前だから・・・と。

確かにそうかもね。

でも、「応援」されたくないか?と言われると、どうでしょうか?。

プレッシャーになる、とか、いい歳になって恥ずかしい、とかあると思う。

そんな「難しい」事ではなく単純に考えるとどうですか?。

「応援されたい」と思う人は多いのではないかな。

私もその一人。

そう思うなら・・・。

「先」に応援しましょう。

無理に「合わない人」や「嫌いな人」を応援する必要はない。

「応援してるよ」「見守っているよ」と言葉にするのが恥ずかしいなら、言葉ではなくてもいいんじゃないかな。

例えば・・・。

「挨拶をする」とか。

「少し手伝ってあげる」とか。

最初はほんの些細な小さな事。

悪い気はしないでしょ?。

「努力」

最近・・・というか昨今、「努力」という事に否定的な意見を見る気がします。

(私に「確証バイアス」が掛かっているかも知れません)。

私が学生の頃は「努力」というのが信じられていたと思います。

(今風に言えば努力信仰でしょうか)。

努力をすれば・・・と。

確かにこれは間違えると不幸になる可能性があると私も思います。

(私は現在、40代のひょろりとした男性。私が今から、努力のみで筋肉ムキムキのオリンピック選手になるのは無理だと思う)。

でも、結局は「努力」をしないと何も手に入らないのも事実ではないだろうか。

努力をしたくない・・の言い訳として「努力だけでは・・」と言っていたって何も手に入らない。

考える事は必要でしょう。

そして、

自分で

自分の心からの声で

「自分には無理」という結論を出したのならそれでいいと思う。

でも、何に対しても「努力をしない」という選択をするならきっと、何も手に入らない。

だから、私はやっぱり「努力」します。

来年も。

それでは皆様、今年もありがとうございました。

色々な思い、様々な悩みの方がいらっしゃると思います。

今日の内容は主サイトの内容とリンクしています。

少しでも参考になれば嬉しく思います。

お互い諦めずに頑張りましょう。

では、読んでくれてありがとう。

またね。