学校生活について。

私は学校が嫌いだった。

「○○だから嫌い」など強い信念があったわけではない。「何で嫌いなの?」と問われても明確な答えは自分でもわからない。

勉強は嫌いだった。出来なかったし。だから余計に学校が嫌いになったのかも知れない。

「数学性腹痛」「国語性頭痛」「小テスト性悪寒」「音楽性睡魔」・・・などとにかく嫌いだった。

ただ、これらは私自身の勉強不足が原因であり学校や教育が悪い訳ではない。

ただ、今、大人(オジサン)になっても理解できないことがある。

「遅刻をしてはいない」とか「忘れ物をしてはいけない」などは大人になって必要な事だろう。

いまの学校の校則がどういったものか詳細はわからないが、理解不能なものがいくつもあるだろう。

給食を残してははいけない。食べるまで帰ってはいけない。

「ん?」と大人になって特に思う。私も小学生のとき、居残り給食をした記憶がある。クラスは午後の掃除をするために机の上に椅子を上げてクラスの後ろに下げるなか、自分は食べたくもない給食をもって困っていた。しかも、埃がフワフワと踊っているではないか!!

こういった思いをした人は、私以外の多くの人が経験したことがあると思う。この「残しちゃダメ」運動。

食べ物を粗末にしてはいけない・・・という考えは私も同感である。しかし、本人が嫌いな物、もしくは体調不良でその日たまたま食べれなくても、この「運動」のせいで残すことは許されない。

ちょっと待って!!大人も残してますよ!!

しかもその理由は「嫌い」とか「アレルギー」とかではなくて・・

「お腹が空いていたから食べれると思ったけど満腹になったから」・・なんて。

ちょっとー!!どうなってるのー!!

大人は自分達が出来ないことを平然と子供達に押し付け「お前が悪い」と言い放つ。

私が今、小学生に戻っても「好き」にはなれないかもね。

家族への想い。

 もう、10年以上前だが父親が亡くなった。父親とは自分が中学の時、離婚してからは会っていない。亡くなる10年くらい前に、施設から「援助ができないか」と自宅に手紙が届いたが私は断った。父親は離婚する数年前から、生活費を入れなくなり、親や兄弟は大層苦労したそうだ。私はまだ、中学生というのと本来の馬鹿が祟り、毎日、ファミコンと鬼ごっこに興じていた。

特別な恨みはなかったが 葬式には行かなかった。

良い思い出もあった。釣り堀に行ったり家族でタクシーに乗りデパートに行きゲームや服を買ってもらい皆で食事をしたりなどの思い出もある。

特別感謝する事もなかった。

私は今の家族の事、新しく家族になった親戚の人達、その子供達が好きだ。

 何年一緒に暮らした、血が繋がっている、などの理由で好きになったり、嫌いになることは無い。付き合いのある友人の収入も学歴も知らない。どんな経歴であれ、自分に合わない人とは付き合いたくないものである。

「仲が良い」という事に越したことは無いとは思うが家族とはいえ画一的(かくいつてき→何もかも一様にそろえるさま)に決められる問題ではないと思う。

「いけない事」だとは思わない。

自己紹介

40代男性です。20歳の時にパニック障害が発動しました。

現在は大分落ち着き寛解の状態です。

「不安、パニック障害の放課後」というブログもやっております。宜しければご覧いただけたら幸いです。

https://hi-ro-diary.com/