「努力」

最近・・・というか昨今、「努力」という事に否定的な意見を見る気がします。

(私に「確証バイアス」が掛かっているかも知れません)。

私が学生の頃は「努力」というのが信じられていたと思います。

(今風に言えば努力信仰でしょうか)。

努力をすれば・・・と。

確かにこれは間違えると不幸になる可能性があると私も思います。

(私は現在、40代のひょろりとした男性。私が今から、努力のみで筋肉ムキムキのオリンピック選手になるのは無理だと思う)。

でも、結局は「努力」をしないと何も手に入らないのも事実ではないだろうか。

努力をしたくない・・の言い訳として「努力だけでは・・」と言っていたって何も手に入らない。

考える事は必要でしょう。

そして、

自分で

自分の心からの声で

「自分には無理」という結論を出したのならそれでいいと思う。

でも、何に対しても「努力をしない」という選択をするならきっと、何も手に入らない。

だから、私はやっぱり「努力」します。

来年も。

それでは皆様、今年もありがとうございました。

色々な思い、様々な悩みの方がいらっしゃると思います。

今日の内容は主サイトの内容とリンクしています。

少しでも参考になれば嬉しく思います。

お互い諦めずに頑張りましょう。

では、読んでくれてありがとう。

またね。

「証明」

小さな問題が顕在化した。

顕在化(けんざいか)→潜んでいたことがはっきりと表面に現れる事。

しかし、その「問題」は私にとっては取るに足らないこと。

「問題」にすらならない程度の事。

では、何が問題なのか?。

普段から、通常業務の中で「やらなければいけない仕事」をやろうとしなかったツケが回ってきただけの事。

「やろうとしなかった」為、その事に対するスキルが身につくはずはない。

当然、形となってはっきり表れた時には対処できない。

私ならそもそも、その問題は問題にならない。

最初から出来たわけではなく、普段からやっているから。

「やろうとした」から。

「やらない」という選択肢もあった。

私は分かっていた。

「必ず問題になる」。

私は考える。

問題になった時に回りが助けてくれるかは分からない。

そもそも、「普段から怠惰な態度で仕事をしている人に誰が自分の時間や労力を提供してくれるのだろうか?」っと。

怠惰(たいだ)→すべき事をなまけて、だらしない性質、様子。

私は今、40を超えて算数のやり直しと字の練習をしている。

いい大人が馬鹿げた話だ。

しかし、どんな馬鹿げた事でも「必要」と感じるなら勉強すべき。

聞いたことがある言葉。

「人生は甘くない、世間は甘くない」。

だからこそ、私は考える。

前進する事を諦め、前進する人を笑う者が称賛され、認められ、裕福な人生を送る事が出来るのか?。

私の答えは「出来ない」。

私は誰もが知る一流企業に勤めている訳ではない。

私はその会社の小さな歯車の一つ。

説得力はないかも知れません。

だから、私の言葉ではなくてもいいです。

著名人の方の言葉でいいですから信じて下さい。

前進する事を諦めた人には、必ずツケが回ってくる。

その前進は最初、どんな小さな事でも良いです。

他人に言う必要はないが、言ったらきっと笑われるだろう。

しかしそんな事はどうでもよい。

何故か?。

実は「気にしない」訳ではない。

笑われたり馬鹿にされるのが嬉しいはずもない。

では、何故どうでもよいのか?。

「証明」されたから。

「失敗」

失敗という事は「良くない事」かも知れない。

でも、「失敗しない」という事だけを考えた時に成長はあるのだろうか?。

例えば、今、私はパソコンでこのブログを書いている。

パソコンの事はあまり詳しくないが電源を入れる事は出来る。

この「電源を入れる」という行為を失敗する事はないだろう。

「失敗しない」が目標なら、それ以上パソコンを使うのはリスクが高すぎる。

例えば、このブログを書く時にタイピングをする。

当然(?)、打ち間違えをしたりする。

「失敗だ・・」。

「失敗を目標」にするのは間違いだと思う。

「失敗をしてしまう」という事は、今の自分の能力より難しい事をやろうとした結果じゃないだろうか?。

「失敗」は不安。

「出来る事だけ」しかやらないのなら、何も伝えられないし、何も得られない。

「理屈」

時には自分に対しても通用しない時がある。

時には理屈ではない時がある。

理屈・・・そんなものは知らねーな。

逃げても泣いてもいいさ。

笑われてもいいさ。

そんな時もあるさ。

「表現」

人にはそれぞれ違う部分がある。

「皆と違う事」に自分を見出そうとして無理をしてる時期があった。

では、皆が「右が正しい」と言い「皆が右を向いている」時に自分は「左が好き」と言い左を向くのは「無理」をしているのか?。

どちらかの良し悪しではなく、そう「表現」したいだけかも知れない。

流行りの服を着る。

そこから「自分を服で表現したい」と思うときっと「皆と違う」服装になるのではないか。

それは無理をしている訳ではなくそう感じているのだろう。

自分が皆と違う事を感じる時、してる時。

「違う事をする」のが目的ならばそれでいい。

では、目的ではない場合はどうする?。

「違う事をわざとしている」と誤解される時もあるかもしれないが・・

大切な事は

自分が「何を」「どう表現したいか」。

「陰影」

コップに水が半分入っている。

ある人は半分「も」入っているといい、

ある人は半分「しか」入っていないという。

有名な例え。

前者の例えの方が感謝や幸せを感じるだろう。

中にはそう思えない人もいる。

私もその中の一人・・・「だった」。

ただ、私は「思いたい」と思えば思うほど遠ざかって行った。

人にはそれぞれ違いがある。

同じコップで同じ水の容量でも夏と冬では感じ方が違うはず。

夏なら「足りない」と思い、冬なら「十分」と思うだろう。

人にはそれぞれ影がある。

ある出来事を肯定的に捉えられる人もいれば、否定的に「しか」捉えられない人もいるだろう。

その陰影は一つではないはず。

考えてみれば当たり前の事だが不思議と一つの括りで捉えようとする。

ポジティブ、ネガティブ。

そして、その一つの例えの一つの考えで自分の性質が陽か陰か決めてしまう。

不思議な事だ。