「仲間」

●一人ではない。

ある集まりの中、先日、私は自分の症状を質問した。

入会したのは1年以上も前。

すると、同じ症状の人が複数いるということを聞いた。

パニック障害と言うのは、現在珍しい症状ではないが、それでも伝えにくい気持ちがある。

同じ気持ちの人も多いはず。

そう、「仲間」はいるんです。

「私「達」には・・・出来るはずだ」。

「動機」

●行動の原因。

お金持ちになれば尊敬され羨ましがられ異性にもモテる。

己を示せる。

そういった気持ちは正直に言えば、ある。

生活も今より楽になる。

あれを買い。

これを買う。

あちらの女性を誘い。

こちらの女性を誘う。

この動機は不純か?。

エネルギーであることは確かだし、折れそうな心を再び動かす動機にもなる。

ただ、この動機「だけ」だと無限である。

もし、砂浜の砂利が全てダイヤモンドだったらどうだろう?。

喜んで拾うだろう。

一つ、二つ、三つ、四つ・・・。

一分、10分、一時間、二時間・・・一日、ひと月、一年、十年・・・百年?。

欲しい・・・それは確か。

ただ、気付けばダイヤモンドを拾うだけの人生だった・・・。

それが悪い訳ではない。

幸福、満足は人それぞれの千差万別。

ただ、私の場合「それだけ」では心の平穏は手に入らない様だ。

迷った時、まず一番素直な動機に気づくことで、見えなくなった道が再び現れるかも知れない。

「陰徳」

●人知れず行う功徳(何が功徳なのか私には不明)。

電車で席を譲ろうが、

ゴミを拾おうが、

人に優しく接しようが、

仕事で助けようが、

何も見返りがないどころか、時には嘲笑されることさえある。

それでも出来る範囲で陰徳を積もうと行動している。

何故か?・・・。

「人は一人では幸福になれないから」。

少なくても、人と関わって生きてきた私には、そう思えてならない。

100年後にでも、アンドロイドが近くの存在になり、生まれた時から一緒に生活をするようになればその価値観は変わるかも知れない。

でも、私は人に囲まれて生きてきた。

人に助けられてきた。

人に煩わしい思いもした。

人を信じられなくもなった。

それでも、私が幸福になる為には、人の力が必要だろう。

そして、きっと「あなた」も概ね同じ考えなのではないでしょうか?。

「あなた」が日々小さな事でも丁寧な姿勢で物事を考えたり、人に接していたら、きっとそれを見ている人は、例え少数でも「あなた」の事をこんな風に紹介するかも知れませんね。

「あの人は信頼できる人だ」

・・・と。

それらは力になる・・・と、思いませんか?。

「人は一人では成功できない」。

仮に、全てを「あなた」一人で準備をして、一人で仕事が出来るシステムを作り上げても、それらを必要とする「相手」が必要です。

そう、「お客さん」です。

「この世界にたった一つのサービス」と言うのはとても難しい。

値段も時間も同じくらいに掛かるのならば、どちらを選ぶでしょうかね?。

多分、信用できる人・・・そう、

「あなたのこと」

です。

まあ、私個人の感想ですけどね。