「お経」

●今、やっているのは般若心経です。

般若心経は以前、祖父が亡くなった時何となく唱えていた。

もう、すっかり忘れてしまっていたけど。

瞑想を始めてから1年半くらい。

腹式呼吸を中心に自分なりやっていた。

ちょっと前、ふらりと本屋に立ち寄ると般若心経の本が目についた。

手に取って少し読んでも見る。

そのまま本屋を出たがどうにも気になる。

結局、戻りその本を買う。

意味についても記載してあるが、私が気に入ったのはお経の部分。

正直、意味はわからない。

ただ、「音の流れ」がいい。

特に瞑想中は出来れば考え事はしたくないから都合がよい。

何度も書いているが「瞑想」と言っても「無」にならないと駄目とか、「宇宙を感じろ」とかそんなことは私は出来ない。

ただ、脳を休憩させるために行っている。

勉強したりする「前に」5分行っている。

特に夜はいい。

夜は昼間の疲れが溜まっているはずだから。

電気を消し、音も消し、聞こえるのはストーブの音だけ。

脳が活性化するそうだ。

自分の脳波は知らないが気分は落ち着く。

「孤独」

●辛いときと必要なときがある。

少し前、孤独について「辛かった」ので、調べたり本を買ったりした。

肯定的な考えが多かった気がする。

確かにずっと、誰かと一緒にいると何もできない。

私の場合、本を読んだり調べたり。

それらを「成長」と捉え「孤独は必要」と考える。

私も「そう思う」。

だけど、辛く感じるときもある。

でも、「孤独はいいことなんだ」と言い聞かせることに違和感があった。

この感じが「何かに似ていた」。

・・・そう、ポジティブ・シンキング。

以前、流行った気がする。

私は、ネガティブ・・・というか、不安に感じやすい。

それを「無理矢理」、「ポジティブに考えなくちゃいけない」と考える程、苦しくなった。

まるで、自分で自分を責めているようだ。

ある時から、「不安に感じることを受け入れる」と、結果的に以前よりポジティブになった。

だから、「辛いこと」を一旦、自分に受け入れた。

孤独の肯定的な部分は置いておいて。

すると、不思議と以前より気持ちが楽になった。

冒頭の状態から何も変わっていないのに。

様々なことには二つの側面がある。

ポジティブの良い所とネガティブだからこそ気付く所。

孤独の良い点と辛い部分。

無理矢理、逆の考えに押し込めようとすると余計辛くなる。

自分に対し、辛い、苦しい、を素直に認めると案外、思考が前に進む。

そして、自分で抱えきれなくなったら素直に相談すればいいのではないか。

孤独とは「人数」ではない。

大勢の人に囲まれても孤独を感じる時もある。

一人のときに孤独を感じないときもある。

「度量」

●己の小さな器を笑い、前に進む。

転勤をしてから4か月程たった。

今でも週に一度応援に入る。

以前の支店は悪い状態で始まってから、少しずつだが良くなっていった。

決して自慢出来る程ではないが、「何とかやってきた」という小さな自負もあった。

何の因果か、首を挿げ替えることになった。

「経験になる」という前向きな気持ちと、少しのやるせなさ。

今日、ふいに頭に浮かび、心に響く。

「違う違う、そうじゃない。自分が関わり実行したこと。周りに嫌な顔をされても行動したこと」

「その事こそが、重要なんだ」・・・と。

「その事こそが、何よりの成果なんだ」・・・と。

こんなことは、凡百の本に書かれていること。

しかし、自分の心に響かなければ、素通りしてしまう微かな音。

何故、今日、ふいに響いたのかはわからない。

自分の小さな器を笑顔で壊し、また作り直す。

「おちょこ」から「お茶碗」くらいにはなったか?。

「祖父」

●亡くなった祖父のこと。

20年以上前、祖父が亡くなった。

私の誕生日に。

私は「ああー守ってくれたんだ」と今でも思っている。

ところが凄く仲が良くて一緒に遊んだなどの記憶はない。

では、何故、そう思ったのか・・・。

少し長くなるが・・・。

祖父は近くの病院に入院していた。

病気というより、年齢的なことだったと記憶している。

私はその頃(20歳くらい)から散歩が好きだったので、ついでにお見舞い・・・というか、顔を出していた。

特に会話のネタもなく、「じいちゃん、元気かい?」など挨拶する程度。

そうこうするうちに私も入院することになってしまった。

同じ病室に。

熱が出て薬で下がってもすぐに40℃くらいの熱が出ての繰り返し。

2日位、病院に通ったが結局、入院することになった。

私は酷い風邪と勝手に思っていたが、後で聞いたら「敗血症」と言う病気で結構、危険らしい。

・・・マジかよ。

そんなことを知らない私は退院するとこれまた近くの歯医者に通っていた。

美人の助手さんがいたから・・・おっとっと、虫歯の治療で。

で、通り道なので歯医者の帰りには祖父に挨拶をしていた。

「じいちゃん、元気かい?」と。

ただの挨拶と何の土産話もない少しの会話。

ちょっと、記憶が曖昧でどれくらいの期間か分からないがそんな生活をしていた。

だんだんと祖父の体調が悪くなり、そろそろ危ないかもしれないと連絡があった。

その晩(亡くなる前日)、近くの祖父の家に泊まりに行った。

何かあったらすぐに病院に行けるようにと。

私は「遅くまで起きている」という理由からか、何故かプレイステーションと「ポリスノーツ」を持って行った。

確か、明け方だったと思うが病院から電話があった。

病院に着いた時には祖父は亡くなっていた。

詳しいことはわからないけど、年齢的なことも関係あっただろう(確か98歳だったと思う)。

それから祖父を自宅に運び寝室に寝かせた。

夜、私は母親と一緒に祖父を見ていた。

母親は泣きながら祖父に「ありがとう」とお礼を言い「○○(私)の病気も持って行ってね」と言っていたのを覚えている(私はパニック障害があったため)。

その時、私は何故か「そうだ!ギターを聴かせよう」と思いつき夜中(確か午前1時とか2時とか)に自分の自宅に戻りギターを持ってきて寝ている祖父の横でジャカジャカ、ギターを弾いていた。

ロックを。

祖父の年齢を考えると「ロックなんて、良く考えても不良の音楽」だったのではないか・・・と思う。

ひょっとしたら、知らないかも知れない。

夜が明けて、親戚が集まっている時、私は玄関先で兄弟に小声でひっそりと呟いた・・・。

「昨日、俺の誕生日なんだよね」・・・と。

そんな、孫にロックを聴かされた祖父は、祖母と一緒に近くのお寺に眠っている。

そんな思いがあるので、私は気ままに、祖父と祖母がいるお寺に行く。

週に、2,3回行く時もあれば3か月くらい行かない時もある。

気ままな孫よ、どこに行く?。

冬が本格化し雪が積もるとしばらく行けなくなるので先日、挨拶に行った。

「いつも、皆のこと見守ってくれてありがとう」・・・と。