「人は」

一人では生きて行けない。

それは、物理的なことだけじゃなく。

それでもふっと、孤独、寂しさを感じる。

例え、多くの人やデジタルな称賛に囲まれても。

孤独、寂しさを感じることは恥ではない。

「恥」として押さえつけると、歪み更に強い力となって反発する。

「弁護」

人は必ずしも合理的に行動できない。

むしろ、非合理に行動して「しまう」ことの方が多い。

自分に対しては「人間だから」と言い訳をし、

他人に対しては「身勝手」と感じる。

そして、苦悩を生む。

「型番 0式」

1番と2番をくっつけて。

1番と3番は「型」が合わないから。

執着し苦悩し不安になる。

これらは「無くならない」。

「無い型」にくっつけるのは無理。

「煮物」

人参、大根、がんも、ちくわ・・・色々。

同じ鍋に入っていても、段々と変わってくる。

柔らかくなったり、味が沁みこんだり。

人も変わっていく。

一見、「同じ鍋」に入っていても、目的が変わってくる。

出世を考えたり、結婚を考えたり、老後を考えたり。

すると、今までの付き合い方も変わってくる。

時に縁が切れることもある。

しょうがないこと。

「定食」

焼肉定食、焼き魚定食、種類は色々。

ご飯、みそ汁、漬物、メインのおかず、その他。

「何が大事か」と言われたらメインだろう。

では、「他は不必要か?」と問われたらどうだろう。

制限が無ければ、他のおかずも「あった方か良い」と思うのではないか?。

全体を「人生」として考えると、愛情、健康、お金、その他色々な物、事が大切な要素の一つ一つと感じる。

「不運」

今月10万円拾ったとする(拾った事はない)。

私にとっては大金です。

翌月も10万円拾ったとする。

「多分」幸運だと思う。

多分・・・と言うのは、これがきっかけで自分が「怠惰」に流れてしまったらどうだろうか?。

それでも「幸運」といえるだろうか・・・。