色んな事をきっと後悔しているのだろう。
そして忘れているのだろう。
それは後悔ではないのかも知れない。
では、何が後悔か・・。
小さな頃からファミコンばかりしていた。
ワンコン(スタートボタンがある方のコントローラー)コントローラーのボタン(特にAボタン)の反応が悪くなると分解してボタンの下にあるゴムのパット(?)をツーコン(もう一つのコントローラー)と交換して「ボタンが効かない」という苦難を乗り越えていた。
いつしか、やらなくなったカセットも分解した。
いつしか、本体も分解して埃を掃除していた。
中身を見ても全くわからなかったが楽しかった。
中学卒業の進路相談の時、最初「コンピューターの学校に行きたい」と先生に相談すると「その学校は偏差値が高いから無理だろう」と言われた。
「じゃあ自分には無理なんだな」と考えもせず納得した。
最近思うのは先生が悪いとかではなく「何故、自分で考えなかったのだろうか?」と思う。
偏差値が高くても自分で行きたいと思うならもっと相談すればよかった。
ただ、それだけ。
かと言って、「あの時、あちらの方向に進んでいたらもっと輝かしい今があったはず」とは思わない。
ただ、単純に「何故、自分で考えなかったのか?」と疑問に思う。
「誰かが」「周りが」「皆が」・・・言うから・・ヤ・メ・ル・ノ・カ?。
そんな事を最近、思い出していた。